水遣り
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暫く泣いていた妻がリビングに入ってきます。その表情は落ち着いているようです。
「此処へ座れ」
私は向かいのソファーを指差します。知りたい事は色々あります。
その中でも佐伯の事をどう思っているのか、これからどうするのか、その事を一番知りたいのです。
「なあ洋子、お前はさっき、佐伯の事を好きじゃないと言ったよな。じゃあ どんな気持ちで抱かれたんだ」
「・・・会う前は もう止めようと思っていました。これでもう止めようと」
「会う前って、お前は毎日あいつと顔を会わせるじゃないか」
「いえ、そう言う意味じゃありません。声を掛けられる前は もう止めようと」
「声を聞くと欲しくなるのか、お前は」
「・・・・・」
「パブロフの犬か、お前は」
妻も最初は おずおずしていたのでしょう。
その内、薬で快楽を覚える内に体が条件反射してしまうようになったのでしょうか。
「あいつを好きか嫌いか聞いているんだ」
「好きではありません」
「じゃっ、嫌いなんだな」
「・・・・・」
「何で返事しない。俺が悪かった。好きではなくて愛しているんだ」
「愛してなんかいません」
又、堂々巡りです。妻も嫌いとは言えないのでしょう。
嫌いと言えば私に
”なんで嫌いな奴に抱かれたんだ、お前はそんなに淫乱なのか”
と責められるのが妻にも解っているのでしょう。
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妻は ぼつぼつと話し始めます。
きっかけは正社員になって暫く後、A亭で食事を奢られ、帰りの車の中で抱擁された事、初めて抱かれたのは最初の大阪出張であった事。
私にしていない、させていない行為を佐伯として感じてしまった事。
事細かく話します。
「もういい。何を自慢しているんだ。俺を馬鹿にしているのか」
私は何をしているんだと思います。自分で聞いて、妻が答えれば それに腹をたて、情けない思いをするのです。
別れを切り出せない自分が情けないのです。しかし、もう堂々巡りはご免です。
「洋子、俺たちは もうやっていけないだろう。そう思わないか」
「いやです。別れたくありません」
「さっき解っただろ。俺は立たなかった、お前の汚れたオマンコではな」
「私努力します」
「努力します?どう言う事だ。俺とは努力しなければ出来ないのか」
「間違いました。私、私・・・」
妻も言うべき言葉を見つけられないのです。
「もういい。出て行ってくれ。明子には俺が言っておく」
娘の明子の名前を聞いて、妻はわっと泣き伏します。
「お願いです。出て行けって言わないで下さい」
結婚した当初から、もっと強引に妻を抱いていれば、こんな事にはならなくてもすんだかも知れない。私の優柔不断な性格も災いしているのです。
「佐伯がテレビ電話の内容を保存してあるって」
「どうしてそれを早く言わない」
「会わない時は、それを見て楽しんでるって。私怖かったの、誰かに見せるんじゃないかと、怖かったの」
「それで ずるずる続けていたと言うんだな。本当だな。脅迫されていたのか?」
「いいえ、初めの頃は脅迫はされていません。でもそれがあると思うと私は・・・」
「初めの頃は?じゃ今は」
「言われました。もう出来ないと言ったら、貴方に見せるって、会社のメールにばらまくって」
妻の言う事は本当なのか、考え付いた言い訳を言っているのか判断は出来ません。しかし、私の気持ちは少しですが、救われます。
初めは妻の意思で佐伯に走ったのでしょう。それ以後は、妻の意思だけではなく、強制されたものがあったのかも知れません。
しかし録画の存在が気にかかります。
私が知っている限りテレビ電話の内容を保存できる携帯は無いはずです。
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佐伯の携帯に電話します。
「宮下だ。今から行く」
「いや、会社は困る」
「困るだと。困るような事をしたのはお前だろう」
「すまん。私のマンションでどうですか」
今は4時半。
「お前も5時までには出れないだろう。5時半に行く」
「5時半ではちょっと早すぎる、会議がある。6時半にならないか」
「ぐだぐだ言うな、俺は会社に行ってもいいんだぞ」
「解った。5時半に待ってる」
本来は佐伯を呼びつけるべきでしょう。しかし、この家に上げたくありません。妻と会わせたくないのです。
佐伯にとって何が一番辛い事なのか考えてみます。
社会的立場、会社での地位は放っておいても無くなってしまいます。
無くなって困るもの、それは金に違いありません。
最悪の場合、職を失ってしまうのです。
妻の体と引き換えの汚れた金は欲しくはありませんが、金で攻めるのが一番良いのです。
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「佐伯、俺は弁護士を立てて お前と戦う事にした」
私は かまをかけます。
「それは勘弁してくれ。何とか慰謝料で済ませてくれないか」
「慰謝料?一応聞いておこう。いくら払えるんだ?」
「200万なら払える」
「なら払える?女房は後10年は働ける。年間400万として4000万、これは遺失利益だ。それに慰謝料1000万プラスで5000万だ」
「無茶だ。それに正社員にしたのは俺だ」
「関係ない。びた一文譲らん」
「では500万だそう」
「話にならん。弁護士に任す。お前も用意しておけ」
「頼む、何とか500万で」
「それが お前のお願いの仕方か」
「申し訳ありません。500万で今回の事は許して下さい」
「そうか、500万の慰謝料は了解する。只、許しはしない。許すのは今後のお前をみてからだ」
条件として、書類を二通用意する事。
1通には今回の非を詫び、今後 妻には一切連絡も会わないと誓う事、500万は私の任意の指定日に満額を一括で支払う事。
この書類には実印を押印し、印鑑証明を付ける事。
そして、もう1通は不倫の事は記載しませんが、佐伯が私に500万の債務があり、それを私に指定通り支払う旨の公正証書を作る事を約束させます。
書類を用意させることにより重圧を与えたいのです。
「一つ聞いておこう。テレビ電話の録画で妻を脅していたそうだな」
「今はどうか知らないが、俺の携帯には そんな録画機能はついていない。見て楽しんでいると言ったのは その場の成り行きだ」
「しかし お前はそれで妻を脅した」
念の為、妻専用の携帯を処分させます。
「お前に言っておくことが一つある。先日、佳子さんに会わせてもらった。お前は酷い男だな、あんないい奥さんがありながら馬鹿な事をしたもんだ」
「・・・・・」
「書類は金曜日までに用意しておけ。取りに来る」
佐伯と妻の携帯は同じものです。
携帯の取説を読みますと確かにテレビ電話の録画機能はついていません。出力端子も付いていません。
携帯ショップでも確認します。テレビ電話の内容を保存出きる携帯は存在していない事を知ります。
妻の不安材料が一つなくなります。
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家に戻り妻に事の顛末を話します。
「良かったな。お前を500万で買ってくれるそうだ」
最後には こんな言葉しか出てこないのです。
「500万入ったら、全てお前にくれてやるから、出て行ってくれ」
「いやっ、出て行きたくない。そんなお金なんか欲しくない」
「お前の体で稼いだ金だ。一回あたり10万だ。高級売春婦でも稼げないぞ」
「・・・・・」
「それから、携帯の事で言っておこう。お前たちの携帯にはテレビ電話の録画保存の機能はついていない。お前は取説を見なかったのか」
「見ました。でも他に方法があるかも知れないと思うと」
「抱かれる言い訳を自分で作ったわけだ」
「違います」
「何故、携帯を壊した」
「私の携帯にも残っているかも知れないと思いました」
「兎に角そう言うものはなかった。残念だな。お前が善がるところを俺も見たかったよ」
妻をいたぶる言葉しか出てこないのです。妻が出て行く事はない、そう思っています。私は卑怯な男です。
妻と今後どうするのか、考えていてもそんな話は出来そうにありません。
妻の顔を見ればいたぶり手を上げてしまう。このままでは二人共壊れてしまう。
私は決心をします。短期滞在型のアパートを借りる事にします。
市役所からは離婚届けの用紙を貰ってきます。
「洋子、俺はアパートを借りた。暫くそこで暮らす」
「いや、行かないで下さい。一緒に居て下さい」
「それから、これは離婚届けの用紙だ。俺の名前はまだ書いていないが、お前が書いたら俺も書く」
本当に卑怯な男です。
こんな大事な事まで、弱い妻に預けてしまうのです、自分で結論を出せないのです。
”許してください、出て行きたくない。貴方を愛している”
と何度も何度も言わせたいのです。
泣いている妻の声を背中にして、その日の内に身の回りのものを纏めアパート暮らしが始まります。
一人になった妻が何をしているのか、気にならないわけがありません。気にしていても家を覗く事も出来ません。
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同日、山岡さんと会います。
「宮下さん、その後どうだね?」
先ず、佐伯との事を話します。2通の書類を見せます。
「君らしいな。それで金はいつ用意させるんだね?」
「妻と決着をつけてからです」
「うーん、そうか。佐伯の金はなくなるぞ」
会社として佐伯の処遇が決定したのです。
「奥さんとは どうするんだね?」
アパートを借り、私がそこで仮暮らしをしている事を伝えます。
「良くないな。今が一番大事な時じゃないかね。別れるつもりなら、それでもいいんだろうが」
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