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戦争の体験談を語るわ
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317 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします :2010/05/21(金) 03:44:42.07 ID:NNSgcXUo
>>293
生きてる価値なんて高いも低いも無いだろ

そもそも、価値をはかろうとするほうがおかしいだろ


カミーユにしろドラガンにしろ、>>1含めてみんなに生きてて欲しいと思ったから、今、こうして書いてる>>1がいるんじゃないか

このまま自罰的に生きることを望んでると思うか?


とりあえず明日以降も待ってるから

お休み


325 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします :2010/05/21(金) 03:50:56.58 ID:6dYZdD6o
>>293
さっきから聞いてりゃ、お前はずいぶん独りよがりなやつだな

お前が今その地獄乗り越えて生きてこられたのは誰のおかげなんだ?

一人で地獄を生き抜いたとでも言うのか?

もはや自分ひとりの命じゃなかろうに


罰だ何だといってるけど、結局は逃げてるだけじゃないか

ドラガンを裏切り者だと恨んできたのと同じ

今度はその対象を自分に変えただけ


お前に出来ることは この先も生き続けて、戦争の悲惨さを語り続けることじゃないのか?

二度とユーゴスラビア紛争みたいな子供が犠牲になる戦争を起こさせないことじゃないのか?

それが みんなに生かしてもらったお前に出来る唯一のことだろうに


63 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:28:25.01 ID:c1y0p92o
あーもうあれだ。

日本帰ってきてから、些細な事でカッとなったり、落ち込んだり、自分の感情を上手くコントロール出来ないんだわ。

社会人なって生活では大分改善したけど、ボスニアでの事考えてる時とか、絡んでる時は、未だに頭おかしい人間になるんだわ。


最初に言っとくべきだったな。

もう俺がへんちくりんな事言っても、スルーしていいよ。

煽り苦手みたいだから、心ここにあらずで書いていくよ。

構ってちゃんでごめんねー


それと、心配させてしまった人、ごめんね。ありがとう。


読んでてイラつく人もいるだろうけど、無理して読む必要ない話だから、無理しないでね。

それじゃ、自分のペースでゆっくり書くよ。

12時位には寝るので、それまでの時間で。


もう、長々と書く時間もないと思うので、明日、遅くても日曜日までには終わらせるよ。

それじゃー



64 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:29:35.22 ID:c1y0p92o
彼の帰りを待ち続けてから、4時間か5時間ほど経過していたと思う。

時計を持っていなかったから、何時頃かまでは正確にはわからないけれど、お昼近かった、もしくは過ぎていたかもしれない。


待っている途中に、何度か道路を車が通り過ぎて、その度に皆で伏せたりして身を隠し、物音を立てないようにしていた。

普通であれば、通り過ぎる車は市民であったり、伐採した木材を運ぶトラックだったりしたのだけれど、この時通過していった車は、武装警察か民兵、あとはユーゴから抜けたスルプスカの軍隊ぐらいだったと思う。



65 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:30:25.30 ID:c1y0p92o
もしかすると、フォーチャも既に同じ状況かもしれないという不安が、車を目にするたびに確信に変わってきていた。

それでも、街から彼が戻ってこない限りは、どうする事も出来ない。

何時になったら戻ってくるんだろう。

もしかして何かあったのかもしれない。

そんな不安も過ぎっていた。


だけど、何かあれば街から音がしたりするんじゃないか、いや、距離があるから聞こえないといったやり取りを、大人たちはしていた気がする。

俺やメルヴィナたちは、特にする事もなく、息を潜めながら、小さい子ども達をあやしたりして待っていた。




69 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:33:34.90 ID:c1y0p92o
すると、朝に食料や水を取りに行ったボシュニャチの人が、スルツキの青年二人を連れて、俺達の隠れている方向に向かってきたんだ。

皆 混乱した。何人かの大人は、彼が俺達を売ったと言ったり、仲間になってくれるんじゃないかと言ったりして、話し合っていたんだ。


しかし、このままここで待っているのは危険すぎる。

もし本当に彼が俺達を裏切ったとしたら、俺達の運命は終わったも同然なんだ。

だから、この場から離れて逃げようといったり、隠れてスルツキの青年たちの様子を見て、隙があれば殺そうといったりして、揉めたんだ。


この時、話し合いを聞いていたけれど、子ども達は長時間の移動と、緊張の連続で疲れ果てていた。

だから、淡々と、「どうなるんだろう」と考えたりしていて、子ども達は静かだった。



71 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:35:45.05 ID:c1y0p92o
結局、すぐに結論が出る話ではないわけで、俺達は見つかる前に、とりあえず隠れる事にしたんだ。

様子を見てから決めても遅くは無いってね。

相手は武器も持たない青年二人。

両手に大きな荷物を持っている。


例え武器だとしても、取り出す前に殺せると考えたんだろうと思う。

恐らく、100メートルぐらいまで近づいてきた頃かな。

ボシュニャチの彼と、スルツキの青年二人が、手を振り出したんだ。



72 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:37:20.97 ID:c1y0p92o
もしかして、俺達を狙っていないんじゃないかって大人が言い出した。

でも、また別の人が、いや、これは罠だ。って言い出した。


どっちかわからないんだ。他民族どころか、もう同じ民族の人間ですら、朝まで仲間として共に行動していた人間ですら信用できなくなっていた。

おれ自身も、日本人ではあるけれど、この時は自分もボシュニャチの仲間・同胞といった様な意識が芽生えていたように思う。



73 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:39:35.62 ID:c1y0p92o
それからしばらくの間、俺達は三人のことを注意深く観察したんだ。

実際に観察していたのは大人で、俺達子どもは その様子をちらっと見たり、聞いたりするぐらいだったけれどね。


何か手を振る以外に何らかの行動を取ると大人たちは思っていたみたいだけど、彼らが何かをする素振りは見せなかったんだ。

ただ、手を振って、そしてじっと待っているだけだったんだ。



74 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:42:22.46 ID:c1y0p92o
そしたらさ、こんな時に限って、先ほどまで静かにしていた赤ちゃんが泣き出したんだ。

そりゃそうだよね。もう丸一日以上ろくに水分補給もしていないし、赤ちゃんが泣くのは仕方が無い。

でも、タイミングが最悪だった。当然、彼らはすぐにこっちに気づいたよ。

大人たちは、彼らと目があったのか、それとも彼らがこっちに振り向いたのか、

「あぁ・・・。」といったような諦めの言葉を発した気がする。



78 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:46:43.25 ID:c1y0p92o
気づかれてしまい、もう駄目だといったような雰囲気が、俺達の中を包み込んだんだ。

だけど、彼らはこっちに気づくとさ、ニコニコしながら向かってきたみたいで、俺達の目の前まで来た時も、安心したような表情を浮かべて、3人で来た経緯を話してくれたんだ。

彼らが話していた内容は、長くて殆ど覚えてないから、簡単に要約するけれど、スルツキの青年二人の街ミジュヴィナでもカリノヴィクと同様の事が起きたんだ。

つまり、非スルツキの人々にスルツキの警察が襲い掛かってさ、連れて行ったり、抵抗する者は見せしめに殺害・レイプしたりしたらしいんだ。

それでさ、ハーフの彼が街に入った時、ちょうど亡くなった遺体とかを積み上げていたところだったらしい。



79 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:50:34.72 ID:c1y0p92o
それでさ、この時一緒についてきたスルツキの青年二人が、ハーフの彼に気づいたらしいんだ。

そして、ここは危ないから、早く逃げるように言ってくれたんだって。

だけど、食料と水がない状態ではゴラジュデどころか、近くのフォーチャにもたどり着けないって言ったんだって。

小さい子どもや、年配の老人もいるから、食料と水が必要って。

そしたら、二人がわけてあげるって言ってくれてさ、そして自分たちも ついていくと言ったんだって。

ハーフの彼は断ったらしいんだけど、もし自分達がついていけば、万一 民兵や警察に見つかった時でも、二人が出て行けば誤魔化せるかもしれないからってさ。



80 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします :2010/05/21(金) 21:51:44.67 ID:NNSgcXUo
支援
参考までに、google map

http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=%E3%83%9F%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8A&sll=43.487801,18.219452&sspn=0.713387,1.160431&brcurrent=3,0x0:0x0,0&ie=UTF8&hq=&hnear=%E3%83%9F%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8A,+%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%82%B4&ll=43.502496,18.741646&spn=0.178303,0.290108&z=12





83 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:54:44.81 ID:c1y0p92o
あ。ごめん。写真で見れるんだ…。

少し見てていいかな。

少し時間を下さい。



82 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 21:54:05.89 ID:c1y0p92o
彼らが言うには、ミジュヴィナの街で、その虐殺というか、さっき言った様な事態が発生した時に、何人かのスルツキの人々は、ボシュニャチやフルヴァツキの人々に危害を加えるのに反対したらしいんだ。

昨日まで隣人として暮らしていた人を [ピーーー]のは止めようって。

でも、そう言った人たちの殆どは、警察に酷い暴行を受けたり、殺されてしまったんだって。


だから、自分たちはこんな所に居れない。居たくないって事だったらしいんだ。



85 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 22:04:38.14 ID:c1y0p92o
話を聞いた後、大人たちだけで話し合って、結果的には一緒に行動する事になったんだ。

それで、山の中で食事や休憩を済ませた俺達は、夕方になるのを待ってから、フォーチャに向けて歩き出したんだ。

フォーチャへの道のりは、車だとそこまで遠いわけでもないのに、とても長く辛く感じた。

これからどうなるかもわからない不安の中で歩くのは、とても根気のいる事だったんだ。


夕方の時間帯は何とか大丈夫でも、夜になれば どうしても眠くなるんだ。

ただ、夜のうちに行動したほうが安全だからと言われて、歩くしかなかった。



87 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 22:09:09.67 ID:c1y0p92o
人間ってさ、本当に眠い極限状態の時は、どんな状況でも寝れるみたいでさ、子どもだけでなく、大人でさえも、半分寝ながら歩いていたんだ。

子どもに至っては、ふらふらしながら歩いていてさ、危ないからということで、皆で手を繋いで、一列になったんだ。

小さい子が うとうとしても、大きな子や俺達ぐらいの年の子が転ばないように注意しながら支えて歩いたんだ。

それで何とか、朝が明ける前にフォーチャ付近までたどり着いた。



88 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 22:11:47.47 ID:c1y0p92o
フォーチャの街に入るには、本当は橋を渡った方が近いし楽だったんだ。

だけど、橋の付近にはスルプスカの警察や軍が検問を張っているかもしれない。

一緒について来てくれたスルツキの二人が、橋は避けたほうが良いと言うので、俺達はフォーチャ手前で川を直接泳いで渡り、超えることにしたんだ。



89 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 22:15:30.78 ID:c1y0p92o
ただ、体力的にも限界が近づいていた俺達には、水の中を泳いで渡るのはとても過酷だった。

渡る途中で、母親におんぶされていた幼児が流されてしまってさ。

助けなければいけないのに、誰も泳いで幼児の所まで行く体力が残っていなかったんだ。

母親は子どもの元へ泳いでいこうとしたんだけど、他の男の人に止められたみたいで、

結局 俺達は、その幼児が流されて沈んでいくのを見ているだけしか出来なかった。



90 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 22:19:38.33 ID:c1y0p92o
川を渡って、山の方からフォーチャ市内へ向かった。

街は、カリノヴィクやミジュヴィナと違って、家が燃えたり人の悲鳴が聞こえたりといった状態にはなっていなかったんだ。

俺達は ほっとして、そしてスルツキの二人が念の為様子を見てくると言って、先に街の中へ入っていった。

多分1時間くらいして戻ってきて、大丈夫だから行こうという事になった。



91 :祐希 ◆.0dKn/WD26 :2010/05/21(金) 22:22:57.79 ID:c1y0p92o
この日は、カリノヴィクから逃げてきてから大体二日ほど経った日で、92年の4月7日だった。

もし、フォーチャでもカリノヴィクと同じ事が起きていたら どうしようと思っていたけれど、実際には まだ何も起きていなくてさ。

とりあえず、皆安堵して、親戚や知人がいる人たちは その家に向かい、行き場のない人達はモスクへ向かったんだ。

以前ソニアやソニアパパと来た時は、街もかなり活気があって、人々が溢れていたのだけれど、この時は人が少なくて、多分 外に出ていなかったんだと思う。

それがとても印象的だった。






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