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6歳の娘がクリスマスにサンタに宛てた手紙を覗いてみたら
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248 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:40:07 ID:aTY(主)
スレタイ「死後の世界はある。それを証明しよう。」

11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/08/14(木) 05:17:42.04 ID:Pd1NteSrO
なんにもならないよ

こないだ病気で友達が死んだんだけど

その前日に見舞いに行ったとき

「もし死んだら化けて出てこいよ」って言っといたけど、全然だもの

酒も、あいつが好きだったもの揃えたのに

全然だもの



250 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:45:03 ID:aTY(主)
50:名前欄にスレ名入力推奨@自治スレにてLR改定議論中 :2009/02/15(日) 06:47:52 ID:jTBLxN9t0
うちのババァが大事にしてるオレより年下に写ってるジーサンの軍服姿の白黒写真を

ババァが出掛けてる隙に、スキャナーで取り込んで元の場所に戻してから 仕事から帰宅して睡眠時間削りながら4日間掛けてフルカラーにコラしてヤったwww

んで、写真屋でプリントアウトしてきて

ついでに地味目の写真立てを購入し

白黒写真の隣に飾っておいたら大泣きされ

不覚にもオレ貰い泣き (´;ω;`)ぶわっ



251 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:45:42 ID:aTY(主)


805 名前:名無し物書き@推敲中?[] 投稿日:2009/02/24(火) 14:39:04
いつからか祖父が灯油を買いに行くようになった。

農業に一生を捧げた無口で朴訥とした人間で、体が弱くなってからは あまり外に出たがらなくなっていたので家族は驚いた。

それまでは母が車でガソリンスタンドへ赴いていたのだが、手間が省けたと昼頃にふと思い出したようにポリタンクをキャスターに載せて家を出る祖父を見送った。

しかし それから暫くして、母が父にぼやくのを聞いた。

「お義父さんいつもお金を多く請求するの。『少しくらいならいいじゃないか』って

うちだって切り詰めてやってるんだから。」

父は苦笑いしていた。

冬も終わろうかという或る日、トイレから戻ると祖父が俺の部屋にいた。

遂にボケたのかと思い、出て行けと強く怒鳴った。

萎縮して小さくなった背中に軽蔑と憎悪の視線を突き刺しながら言った、小汚い守銭奴め。

祖父は一言も口にすることなく部屋を出た。

その日以来、僅かながらも半ば義務的に繋がっていた祖父との関係は断絶した。

そこにいてそこにいない人だった。

いつかの自分を重ねてしまい、誰に対するわけでもない悪態をついた。

5月に祖父が亡くなった。

何事もなく眠り、眠ったまま、眠るように亡くなった。

悲しみは無かった。

そこにいなかった人間がいなくなっただけなのだから、当たり前だ。

祖父の遺品に新品のスーツがあったそうだ。

大切に保管されていたそれは父でもなく祖父でもなく、24歳の俺にピッタリのサイズだった。

いつからだろうか、一切を放棄することで全てを諦め、他人の前に姿を見せなくなり始めたのは。

些細なことがきっかけだった高校時代のイジメが原因かもしれないし、日中から家に居ることをただ責めた両親の鈍感が原因かもしれない。


けれど本当はわかっていた。
誰の所為でもないと。
このままではいけないと。
祖父は知っていた。
焦燥を、苛立ちを、無力感を。

シワ一つない真っさらなスーツは、無口で朴訥とした、不器用な祖父なりの精一杯だった。

必死で貯めたお金、訊けなかった寸法、渡せなかった答え。

泣くのは違う気がした。

明日、これを着て一歩踏み出すことにした。



252 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:47:17 ID:aTY(主)
163 名前:名無しさん?[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 06:33:58 ID:???
特別仲が良くも悪くもなかった父親が死んだ。

死んだ時は悲しいというか、少しの喪失感があったくらいだった。

普段はスーツを着ない仕事の父だったのに、好きな食べ物や趣味をひとつも知らなかったから父の日には毎年ネクタイを贈ってた。

洋服ダンスの中に数着の礼服とコート、そしてタンスの扉にある

ネクタイかけにあげたネクタイがずらりと並んでるの見たら何故だか泣けた。

タンスを見る度なんか泣ける。なんだこれ。



253 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:48:00 ID:aTY(主)
630 名前:ななしのいるせいかつ[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 22:02:22
祖父のラブレター


脳梗塞で入退院を繰り返していた祖父

私たち家族は以前からの本人の希望通り、医師から余命があとわずかであることを知らされていたが、祖父には告知しないでいた。

「元気になって、またみんなで楽しく暮らそうね」

祖父を見舞った際の合い言葉のようでもあった。


祖父の1周忌が過ぎた頃、父が祖母に1通の手紙を手渡した。

祖母の心の落ち着きを待ってのことだった。

衰弱し、震える手で書かれた文字は書道で師範格であった祖父が書いたとは思えない程弱々しかったが、文面から感じられる優しさ、慈しみが祖父のそれであった。

「おばあちゃん元気

ともに過ごした時間は永いようで短い50年でしたね

また機会があればいっしょに暮らしたいものです」

祖父が書いた最初で最後のラブレターである。



255 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:50:19 ID:aTY(主)
19 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/12/13 12:07 ID:kf9E/pmK
ステキな思い出ではないんだが・・・

俺は3食のうち朝飯をよく食べる奴で

パンとか1日で3つも食べる日とかもあった。

で、ある日 母親が10個くらい一気にパンを買ってきて

意味がわからなかったから「こんなに食べれるわけないじゃん」とか言ったら

「○○よくパン食べるから買ってきたんだけど・・」みたいな事言ってて

マァ金ももったいないしって思いながら2日にわけてパン全部食べた。

その4日後に母親が死んだ。

父親に聞いたところ病気で余命宣告されてたらしいのだが俺ら子供には黙っていたらしい。

不器用な母親の最後の心遣いだったのかなあのパンは。



260 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:55:34 ID:aTY(主)
245 ノイズs(東京都) 2009/09/22(火) 17:02:46.00 ID:EGCltGCq
マックじゃないけど、中学の時友達がクラスメイト集めてファミレスで俺の誕生日やってやるって言うから母ちゃんに車で送ってもらって行ったら

誰も居なくて、迎えの時間まで駐車場で泣いたなぁ

解散する時にお礼言って配りなさい、って親に渡された貝殻の形の焼き菓子も、余りまくって

しばらくの間毎日家で食ってたなぁ…



261 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)17:59:10 ID:aTY(主)


663 :名無しさん@お腹いっぱい。 :05/02/22 01:15:59 ID:CMvhh0+f
私が1歳の時に母親が急逝してしまったので、おふくろの味も、母ちゃんのお弁当も、食べたことがありません。

でもある日、大掃除をしていたら古いノートを見つけて、開いてみると母の字がびっしり。

そこには母が作った料理のレシピがずらりと書いてありました。

結婚してから毎日、日記代わりに書いていたようです。

煮物や炊き込みご飯、スープにケーキ。

そのレシピにそって料理をしてみて

初めておふくろの味、というものを味わいました。

翌日は残った煮物をお弁当に詰めて、母ちゃんのお弁当。

高校最後の年にやっと食べることが出来ました。

24歳で逝ってしまった母。あと数年で私は年上になってしまいます。

今もときどき母の料理を作ってるけど、本当のおふくろの味とは違うんだろうな(´・ω・`)

このスレを読んでるとちょっと皆さんがうらやましくなります。

お母様を大切になさって下さいヽ(´ー`)ノ



301 :名無しさん@おーぷん :2016/01/04(月)00:51:30 ID:5W8(主)
485 名前:名無しの心子知らず[] 投稿日:2011/06/01(水) 04:07:48.23 ID:mykDFAug
父親は事故で亡くなり今年で七回忌です。

子供の時からうるさくて妙に冷たい感じがして好きではなかった。

進学を機会に家を出て、実家に帰るのは大晦日から元旦まで。

父の晩年は政治経済や国際情勢など話題にしながら少しずつ距離を縮めた。

もう余り思い出さなくなってたが、机の奥から古い写真が出てきた。

二歳くらいの僕をバイクの前に載せて嬉しそうに笑ってる父を見たら涙が止まらなくなった。

愛情は十分に注がれていたのが分かった。

それだけで十分だった。



303 :名無しさん@おーぷん :2016/01/04(月)00:54:43 ID:5W8(主)
947 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/12/04(日) 18:05:10.97 ID:4TuXjetb
子供の頃、毎年クリスマスの朝、遠くで働いてる父親とサンタさんからプレゼント、と母親からの分合わせて3つプレゼントを貰ってた。

サンタさんも父親もいないと知ったのは ずっと後だったよ。



305 :名無しさん@おーぷん :2016/01/04(月)00:57:07 ID:5W8(主)
515 /名無しさん[1-30].jpg sage New! 2012/02/29(水) 16:05:34.14 ID:ZdcGDEHK0
学校の帰り道にババアがカレーパンだけ売ってる店があってな、どんな味がするのかと思ってたけど貧乏で買えなかったのよ。

揚げてるのを見に行くとババアが「買わないなら帰りな」って、追い返すんだけど、その日だけ「金なんかねえよバーカ」って悪態ついて逃げちゃってさ、そしたら翌日、紙袋いっぱいのカレーパン持ったババアが待ち伏せしてやがってさ

「これ失敗作だからアンタにやるよ」って。

で、さっき、ババアの葬式行ってきた。



310 :名無しさん@おーぷん :2016/01/04(月)01:07:00 ID:5W8(主)
両親は、仲が悪いのだと思っていた。

冷たく見えるぐらい素っ気なかったから。

両親の兄弟姉妹などから、幼なじみで大恋愛だったとか、周りの反対を押しきって結婚したんだとか聞かされても、到底信じられなかった。


母が子宮癌で手術を受けた。

手術の終わる時刻を見計らって病院へ行くと、父が母のベッドの傍に座り、好きな歴史小説を読んでいた。

麻酔から覚醒したのか、母が痛い痛いと呻きだした。

父は即座に小説を閉じ、母の右手を両手で包み込んだ。

『ユミ、大丈夫だよユミ…』

まだ意識が戻りきっていないながらも、父の声に母が反応して答えた。

「タカちゃん…痛いよ…タカちゃん…」

父と母が名前で呼び合うのを聞いたのは、それが初めてで、最後だった。

母の通夜の後、棺の中の母の頬を何度も何度も父は撫でていた。

黙って撫でていた。



311 :名無しさん@おーぷん :2016/01/04(月)02:54:41 ID:YgA
少し俺の心に良心が芽生えた様な気がした

ありがとう


297 :名無しさん@おーぷん :2016/01/04(月)00:44:36 ID:5W8(主)
君達は夜中の0時に正にこの世に生まれた。この世に生を受けた。

人の寿命を70歳くらいと考えたら、3年を一時間として、朝6時、もしくは7時。君達はいまやっと朝を迎えたくらいでしかない。

大学をでて、社会にはいってちょっと経ってもまだまだ朝9時でしかないんだ。

社会ではまだまだ青くて到底使える人材でもない。

楽しみに満ちながら君たちの成長をみてきた君たちのお父さんやお母さんは 君たちが自分の時計で朝の2時や3時の頃、もう既に昼の2時や3時になっていたんだ。

今はどうだろう。もう夕方5時、いや6時を過ぎているかもしれない。

今から彼らはやり直しがきくだろうか。あと6時間も無いのだ。人生は6時間も無いのだ。

日は沈んでしまったのだ。


では君達はどうだろう。みんなまだまだ朝6時や7時じゃないか。

やり直しなんていくらでもきく。何回やり直したって、朝8時くらいでしかないじゃない。

一番悲しいことは、ここで自分の時計を無理やり止めてしまうことなんだ。

可能性は まだまだ秘められているのに、まだまだ一日はこれからなのに、太陽の燦々とあたる昼に向けて準備をする時間でしかないのに、自分の時計を止めてしまうことなんだ。

親は望んでいるだろうか?友人は望んでいるだろうか?

君たちの輝かしい未来を、本当に今から始まる君たちの未来を、止めてしまうことを望んでいるだろうか?

君は望んでいるだろうか?

どうか、一番悲しい選択だけはしないで。

君たちへの最後の言葉です。頑張っておいで。






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