6歳の娘がクリスマスにサンタに宛てた手紙を覗いてみたら
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162 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:01:55 ID:aTY(主)
56 名前:Mr.名無しさん[sage] 投稿日:2006/09/23(土) 14:24:52
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔 両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚して すぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににも そう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。
57 名前:Mr.名無しさん[] 投稿日:2006/09/23(土) 14:25:27
●●へ(彼の名前)
ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。
166 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:05:15 ID:aTY(主)
572 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2006/10/19(木) 16:56:51 ID:/0Z5dSrn
私は姉と弟の三人兄弟。
5歳になった頃、当時8歳だった姉が入院した。
入院というものがよく分からなかった当時、見舞いに行っても全く普段と変わらない様子の姉が何故家に帰れないのかが分からずに不思議だった。
そして見舞いに行くたびに枕元に増えていく、両親が姉のために買って来るおもちゃが うらやましくて仕方なかった。
ある日 いつものようにお見舞いに行くと、姉が私におもちゃを差し出して言った。
「○○(私の名前)、これあげる。」
私は嬉しくて仕方なくて、喜んで そのおもちゃを受け取った。
「○○にね、全部上げる。お姉ちゃんのもの全部上げるよ」
いつもと変わらない様子で、にこにこ笑って そういった。
それから数週間後、姉は亡くなった。生きていた姉に会えたのは、これが最後だった。
それから十数年たって、姉がかかった「白血病」がどんな病気なのかを知った。
それが切っ掛けで私は看護師をしている。
一生続けられる仕事をくれたのは姉だと思っている。
175 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:10:11 ID:aTY(主)
900 :本当にあった怖い名無し :2006/10/29(日) 22:11:31 ID:7Ym3pKBh0
母のお弁当
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」
と ついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記は あの日で終わっていた。
177 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:12:05 ID:aTY(主)
66 名前:大人になった名無しさん[sage] 投稿日:2005/09/02(金) 00:59:33
小学4年の時、何かの事情でお祖父さんと二人暮しの女の子がいた。
ある日、そのお祖父さんが倒れて救急車で運ばれた。その子が泣き叫ぶ姿が印象的だった。
お祖父さんは結局そのまま亡くなってしまった。
ちょっとして学校に出てきてが、友達や先生が心配してもダンマリ。
先生が「可哀想に、みんなで励ましてあげないといけないよ。」と言った途端、「私、可哀想なんかじゃない!可哀想なんかじゃないから!」と泣き叫んだ。
不思議にそれ以降のその子の思い出は無い。転校でもしたんだろう。
彼女は可哀想なんかじゃない、幸せの形は幾通りもあるのだ。
そう思いたくて仕方がなかった。
188 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:21:18 ID:aTY(主)
357 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/01/21(日) 03:49:48 ID:Yg1AiGmFO
仲間外れはねぇ。確かに皆から無視される、というのは きついからなあ・・・。
しかし、無視する(される)のにも、大概相応の理由はあるし・・・。
開き直って孤独でいくしかないよーな。
二人組が作れなかったり、昼飯を独りで食べないといけないけど・・・。
367 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/01/21(日) 04:03:13 ID:45g8k4B60
>>357
2人組を作るときは いつも先生と一緒。
屋上でお弁当食べるのもすぐ慣れた。
でも卒業するときお母さんが用意してくれたサイン帳に誰も何も書いてくれなかったのは辛かったなぁ。
お母さんに心配かけないようにトイレの中で自分でサイン帳書いたのは一生忘れないと思う。
198 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:37:53 ID:aTY(主)
548 名前:VIP皇帝[] 投稿日:2006/12/28(木) 00:12:17 ID:jY2AIXaV0
「こうこうせいになったおとうさん」
千葉県 7歳 男性
おかあさんが、こうがんざいというおくすりのせいでかみのけがどんどんぬけてしまいました。
あさ、おかあさんは、まくらについたかみのけを 1 ぽんずつセロハンテープでとっていました。
おとうさんがとこやさんにいきました。かえってきて、びっくりしました。
まるぼうずだったからです。
「おかあさんよりさきに、ぼうずになった。」
おとうさんは、こうこうせいのおにいちゃんみたいで、とてもかっこよかったです。
200 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:41:11 ID:zej
親孝行しよう…
202 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:43:12 ID:aTY(主)
831 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2007/03/20(火) 07:26:53 ID:T0UOhlaa
日曜に、ミスド行った時の話。
若いお父さんと3歳くらいの、目がくりくりした可愛い子が席についた。
お父さんと私は背中合わせ。以下、肩越しに聞いた会話(ちょっとうろ覚え)
子「どーなつ、おいしいねぇ」
父「ん、おいしいね」
子「おかーちゃんにも、あげたいねぇ」
父「そだね」
子「おかーちゃん、いつおっき?」
父「んー、お母ちゃんはとっても疲れてるから。いつ起きるか分かんないな」
子「そっかあ」
子「○○(自分の名前)、ゆーえんち!」
父「ん?」
子「ゆーえんちいって、かんらんしゃ!おかーちゃんいっしょ!」
父「そだね。お母ちゃんと行きたいね、三人で。お母ちゃんがおっきしたら・・・」
子「おとーちゃん?だいじょうぶ?えーんえーん?」
父「大丈夫。えーんえーんしてないよ。お父ちゃんは大丈夫だから」
もう涙堪えるのに必死でした。
この親子になにがあったのかは推し量ることしかできませんが、やさしいぼくちゃんと、まだ若いお父さんに幸あれ。
204 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:47:21 ID:aTY(主)
144 名前:名無しの心子知らず[] 投稿日:2007/01/21(日) 03:45:56 ID:v9tvN7VI
6歳の娘がいます。
昨年の夏に第二子を妊娠しましたが10月に流産してしまいました。
あまりに突然だった為、手術の日まで実感がなく夢なんじゃないかと思っていました。
手術が終わって次の日
娘が熱心にお絵かきをしてました。
いつもは飽きてすぐやめてしまうのに。
出来上がると私の所に駆け寄ってきて
「これ!赤ちゃんにかいたよ!」と。
見ると拙い字で
「あかちゃんまたきてね」
言葉が出なかった。
涙が溢れて仕方なかった。
子供の前だというのに大泣きしてました。
この子を産んで本当に良かったと心から娘に感謝をしながら、抱きしめて泣きました。本当に嬉しかった。
私の子供になってくれてありがとう。
生まれ変わっても
ママはまたあなたを産みたいと思うよ。
206 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:55:01 ID:aTY(主)
32 名前: 空気コテ(埼玉県)[] 投稿日:2007/03/23(金) 18:18:16 ID:g5jUJE/90
ニート34年目。
カーチャンに
「あんたはね、ネットだけの知識で頭でっかちになってるよ。
2ちゃんねるで取り入れた知識を偉そうに私やトーチャンに話してるけど、働いたこともないあんたが言うと滑稽なんだよ。
ニュース番組見てても得意げに2ちゃんねるの受け売りを披露してるけど、カーチャンとトーチャンだから笑って聞いてあげてたんだ。
頼むから外で働いて、自立して。
カーチャンもトーチャンももう先は長くないだろうし、アンタの子育ては大学卒業の22歳で終わりなんだよ。
今56歳で、アンタはもうオッチャンなんだから、カーチャンとトーチャンにすがったって、もう何もしてあげられないんだよ。
この三十四年間、ずっと部屋でパソコンして、にちゃんねる見て、結局今のアンタはネットの情報だけで頭がいっぱいになってて、何もいいことなんか無かったんじゃない?
友達と遊んだ?彼女は作れた?いないでしょ。誰も。
トーチャンとカーチャンしかいないでしょ。
だからそんなんじゃ、トーチャンとカーチャンいなくなったら本当にアンタは独りぼっちになるんだよ。
外出て働いて、友達作って恋人作って、自分のために自立しなきゃ」
って言われてマジで涙出た・・・
56 名前:Mr.名無しさん[sage] 投稿日:2006/09/23(土) 14:24:52
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔 両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚して すぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににも そう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。
57 名前:Mr.名無しさん[] 投稿日:2006/09/23(土) 14:25:27
●●へ(彼の名前)
ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。
166 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:05:15 ID:aTY(主)
572 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2006/10/19(木) 16:56:51 ID:/0Z5dSrn
私は姉と弟の三人兄弟。
5歳になった頃、当時8歳だった姉が入院した。
入院というものがよく分からなかった当時、見舞いに行っても全く普段と変わらない様子の姉が何故家に帰れないのかが分からずに不思議だった。
そして見舞いに行くたびに枕元に増えていく、両親が姉のために買って来るおもちゃが うらやましくて仕方なかった。
ある日 いつものようにお見舞いに行くと、姉が私におもちゃを差し出して言った。
「○○(私の名前)、これあげる。」
私は嬉しくて仕方なくて、喜んで そのおもちゃを受け取った。
「○○にね、全部上げる。お姉ちゃんのもの全部上げるよ」
いつもと変わらない様子で、にこにこ笑って そういった。
それから数週間後、姉は亡くなった。生きていた姉に会えたのは、これが最後だった。
それから十数年たって、姉がかかった「白血病」がどんな病気なのかを知った。
それが切っ掛けで私は看護師をしている。
一生続けられる仕事をくれたのは姉だと思っている。
175 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:10:11 ID:aTY(主)
900 :本当にあった怖い名無し :2006/10/29(日) 22:11:31 ID:7Ym3pKBh0
母のお弁当
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」
と ついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記は あの日で終わっていた。
177 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:12:05 ID:aTY(主)
66 名前:大人になった名無しさん[sage] 投稿日:2005/09/02(金) 00:59:33
小学4年の時、何かの事情でお祖父さんと二人暮しの女の子がいた。
ある日、そのお祖父さんが倒れて救急車で運ばれた。その子が泣き叫ぶ姿が印象的だった。
お祖父さんは結局そのまま亡くなってしまった。
ちょっとして学校に出てきてが、友達や先生が心配してもダンマリ。
先生が「可哀想に、みんなで励ましてあげないといけないよ。」と言った途端、「私、可哀想なんかじゃない!可哀想なんかじゃないから!」と泣き叫んだ。
不思議にそれ以降のその子の思い出は無い。転校でもしたんだろう。
彼女は可哀想なんかじゃない、幸せの形は幾通りもあるのだ。
そう思いたくて仕方がなかった。
188 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:21:18 ID:aTY(主)
357 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/01/21(日) 03:49:48 ID:Yg1AiGmFO
仲間外れはねぇ。確かに皆から無視される、というのは きついからなあ・・・。
しかし、無視する(される)のにも、大概相応の理由はあるし・・・。
開き直って孤独でいくしかないよーな。
二人組が作れなかったり、昼飯を独りで食べないといけないけど・・・。
367 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/01/21(日) 04:03:13 ID:45g8k4B60
>>357
2人組を作るときは いつも先生と一緒。
屋上でお弁当食べるのもすぐ慣れた。
でも卒業するときお母さんが用意してくれたサイン帳に誰も何も書いてくれなかったのは辛かったなぁ。
お母さんに心配かけないようにトイレの中で自分でサイン帳書いたのは一生忘れないと思う。
198 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:37:53 ID:aTY(主)
548 名前:VIP皇帝[] 投稿日:2006/12/28(木) 00:12:17 ID:jY2AIXaV0
「こうこうせいになったおとうさん」
千葉県 7歳 男性
おかあさんが、こうがんざいというおくすりのせいでかみのけがどんどんぬけてしまいました。
あさ、おかあさんは、まくらについたかみのけを 1 ぽんずつセロハンテープでとっていました。
おとうさんがとこやさんにいきました。かえってきて、びっくりしました。
まるぼうずだったからです。
「おかあさんよりさきに、ぼうずになった。」
おとうさんは、こうこうせいのおにいちゃんみたいで、とてもかっこよかったです。
200 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:41:11 ID:zej
親孝行しよう…
202 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:43:12 ID:aTY(主)
831 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2007/03/20(火) 07:26:53 ID:T0UOhlaa
日曜に、ミスド行った時の話。
若いお父さんと3歳くらいの、目がくりくりした可愛い子が席についた。
お父さんと私は背中合わせ。以下、肩越しに聞いた会話(ちょっとうろ覚え)
子「どーなつ、おいしいねぇ」
父「ん、おいしいね」
子「おかーちゃんにも、あげたいねぇ」
父「そだね」
子「おかーちゃん、いつおっき?」
父「んー、お母ちゃんはとっても疲れてるから。いつ起きるか分かんないな」
子「そっかあ」
子「○○(自分の名前)、ゆーえんち!」
父「ん?」
子「ゆーえんちいって、かんらんしゃ!おかーちゃんいっしょ!」
父「そだね。お母ちゃんと行きたいね、三人で。お母ちゃんがおっきしたら・・・」
子「おとーちゃん?だいじょうぶ?えーんえーん?」
父「大丈夫。えーんえーんしてないよ。お父ちゃんは大丈夫だから」
もう涙堪えるのに必死でした。
この親子になにがあったのかは推し量ることしかできませんが、やさしいぼくちゃんと、まだ若いお父さんに幸あれ。
204 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:47:21 ID:aTY(主)
144 名前:名無しの心子知らず[] 投稿日:2007/01/21(日) 03:45:56 ID:v9tvN7VI
6歳の娘がいます。
昨年の夏に第二子を妊娠しましたが10月に流産してしまいました。
あまりに突然だった為、手術の日まで実感がなく夢なんじゃないかと思っていました。
手術が終わって次の日
娘が熱心にお絵かきをしてました。
いつもは飽きてすぐやめてしまうのに。
出来上がると私の所に駆け寄ってきて
「これ!赤ちゃんにかいたよ!」と。
見ると拙い字で
「あかちゃんまたきてね」
言葉が出なかった。
涙が溢れて仕方なかった。
子供の前だというのに大泣きしてました。
この子を産んで本当に良かったと心から娘に感謝をしながら、抱きしめて泣きました。本当に嬉しかった。
私の子供になってくれてありがとう。
生まれ変わっても
ママはまたあなたを産みたいと思うよ。
206 :名無しさん@おーぷん :2016/01/03(日)16:55:01 ID:aTY(主)
32 名前: 空気コテ(埼玉県)[] 投稿日:2007/03/23(金) 18:18:16 ID:g5jUJE/90
ニート34年目。
カーチャンに
「あんたはね、ネットだけの知識で頭でっかちになってるよ。
2ちゃんねるで取り入れた知識を偉そうに私やトーチャンに話してるけど、働いたこともないあんたが言うと滑稽なんだよ。
ニュース番組見てても得意げに2ちゃんねるの受け売りを披露してるけど、カーチャンとトーチャンだから笑って聞いてあげてたんだ。
頼むから外で働いて、自立して。
カーチャンもトーチャンももう先は長くないだろうし、アンタの子育ては大学卒業の22歳で終わりなんだよ。
今56歳で、アンタはもうオッチャンなんだから、カーチャンとトーチャンにすがったって、もう何もしてあげられないんだよ。
この三十四年間、ずっと部屋でパソコンして、にちゃんねる見て、結局今のアンタはネットの情報だけで頭がいっぱいになってて、何もいいことなんか無かったんじゃない?
友達と遊んだ?彼女は作れた?いないでしょ。誰も。
トーチャンとカーチャンしかいないでしょ。
だからそんなんじゃ、トーチャンとカーチャンいなくなったら本当にアンタは独りぼっちになるんだよ。
外出て働いて、友達作って恋人作って、自分のために自立しなきゃ」
って言われてマジで涙出た・・・
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