逆転
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助けてくれと言われて私が納得したところで、はいそうですかと岸部の立場が好転するとは思えないのですが・・・・
世の中には示談が成立し刑が軽くなったなんて話をニュース等で耳にしますが、今回の件は そうは行かないのではないかと思います。
しかし、岸部の奥さんにしてみれば、何かしないといられない気持ちなのだろうと予想出来るのです。
これまでは、ある程度の収入があり、不自由のない生活を送っていたものが全てなくなってしまう。
幼い子供を抱えて、これからの人生に不安を感じるのは当然です。
まして岸部の年齢を考えれば、今以上の収入を得るのは不可能でしょう。
それでも一生懸命働けば何とか食べて行けると思うのですが、人は今の立場に見合った生活を送っているのです。
その生活が一変してしまうのは誰だって不安なものだと思うのですが・・・・・
「申し訳ないが、今はそんな気持ちになれないのです。
それに私が水に流すと言ったところで御主人の立場が変わるとは思えない。
普通の会社は、そんなに甘いものではないと思います。本当に申し訳ない」
私の言葉にたいそう恐縮しながら電話は切れました。
前回同様に後味の悪い思いをしながらも、岸部に何があったのか気になります。
妻も知っているのか?
おそらく同僚の画策なのではないかと、内線を繋ぎました。
「俺だ。岸部のかあちゃんから電話があった。あいつ、危ないんそうだな。何かしたのか?」
「そうか。そんな話になっていたか。今そっちに行くよ」
程なくしてやって来た奴と休憩室に入り情報を交換します。
私は奥さんとの電話での内容を話し、それを聞いてから、これまでの経過を伝えてくれました。
「岸部はうちに飛び込みでやって来たんじゃないんだ。
俺は部長から引き継いだので事情にうとかった。その辺はお茶を濁されてたんだが、ある業者の紹介なんだよ。
そこが部長とじっ魂なんでな。詮索はしたくないが何かあるんだろう。
それでな、お前の名前は当然出さないが、こんな話があると言ったんだよ。
部長は意外といい男だぜ。あんまり好きな奴じゃなかったけど親分肌だな。
うちの社員を馬鹿にするのは許せんって電話してたぜ。そんな事なら紹介者だって立場がないさ。
俺はそこまでは知ってるんだが、その後は耳に入っていないんだよ」
「ふ〜〜ん。そんな話になっていたのか。お前よぅ、もっと密に連絡してくれよ」
「済まんかった。ちゃんと決着を付けてからと思ってたんでな」
「感謝してるよ」
何処まで真剣に私の事を思って行動してくれたかは分かりませんが、約束を守ってくれたのは事実です。
それから何日もしないうちに話が急発展したのでした。
外回りをしていると携帯に着信があり、直ぐに戻って来いと言われ、部署に帰ると同僚が私の席に座っています。
「ちょっと来い」
言われるままに会議室について行き話を聞きました。
「あいつの会社の会長が来る。お前にも会いたいそうだ。賽は投げられたな」
第一線を退いた会長のお出ましが何を意味するものなのかは、その時の私には分かりませんでしたが、大きな変化を感じたものです。
だけど妻を寝取られた男が どんな間抜け面をして出て行けばいいんでしょうか?
待機してろと言われ、手持ち無沙汰にデスクに座っていると、お呼びが掛かりました。
来賓室に入り、真っ先に目が行ったのが貫禄の老人でした。
部長と同僚が居るのにオーラを放つ老人が異質に目立つのでした。
中小企業とは言え、一代で会社を築いたこの男の迫力は、会社の看板で生きている私等とは比べ物にならないのです。
その老人が立ち上がり最敬礼で出迎えてくれましたが、それを見た部長が私に着席を促しました。
「仕事中にお呼び出しして申し訳ないです。この度は本当に済まんでしたのぅ」
軽く会釈をし席に付いた私は、無言でと言うより言葉が出ずに相手と向き合いました。
私がここに入るまでの間に、ある程度の進展があったのでしょう。
「あの会社の会長さんだ。今日は君に詫びたいそうだ」
部長が紹介しましたが、誰だかもう分かっています。
「今回の事は弁明の余地がないです。息子を社長にして会社を任せたが まだ早かった。
そうは分かっても、子供は可愛いものです。きっと一人前になってくれると思っておったのですが。
何かと問題を起こしてはおったが、わしも若い時はそっちの方が盛んだったので、ついつい見ない振りをしてしまった。
それでも会社を立派に運営してくれれば目をつぶれるが、今回の事はのぅ・・・・
これは申し訳ない。
年寄りの愚痴を皆さんに聞かせてもしょうがありませんでしな。
今回の件も御社を紹介してくれた社長から聞きまして、わしは飛び上がりました。
会社の恥を晒すだけではなく、御社と紹介者の顔に泥を塗るような恥知らずな真似をするようでは、もうお終いじゃ。
幹部連中には、それなりのけじめを付けさせるつもりでおります。もちろん息子もです。
今後は、わしが老体に鞭打って先頭に立ちます。一からやり直し信用を回復しなければなりません」
老人が話した内容は大体こんな事だったと記憶しています。
強い個性に当てられ、話しが頭の中に入って来なかったと言うのが本当のところなのですが・・・
会長の御出ましで、岸部の首も風前の灯火なのか?
それで奥さんからの電話だったのでしょう。
しかし、男なら自分から掛けて来いちゅうの!本当に情けないやっちゃ。
帰り際に老人は封筒を私に差し出しました。
躊躇すると部長が取っておけと目で合図します。
中身が何なのかは想像がつきます。
それがどう言う意味なのかを図りかねて躊躇したのです。
そんな私の気持ちを察したのでしょう。
小声で老人が言います。
「当社からの誠意ですが、わし個人からの気持ちも入っております。これで全てを水に流してくれるとわ思わんが、少しでも気持ちが納まってくれればと思いましてな」
岸部に対する慰謝料は勝手にしろ。
しかし会社にはこれで勘弁してくれとの事でしょう。
それを部長が受け取れと指示したのは、私にそれで納得しろと言っているのです。
会社同士の取引は、これで成立したと言う事か・・・・
サラリーマンのせつなさです。私も食べて行かなければなりません。社会とはこんなものなのでしょうね。
老人を見送り終わり、部署に戻ろうとする私の肩に部長がに手を乗せ、
「色々あったんだな。生きるって事は山あり谷ありか。それにしても昔のプレーボーイが情けないぞ」
激励とも慰めとも付かない事をニヤリと笑いながら掛けて来ました。
同僚も笑いながら、
「幾ら入ってる?今度おごれよ」
封筒を空けて見ると、それなりの額面の小切手が入っています。
景気のよい時のボーナスを何倍かにした額です。正直これはラッキーだ。
お金は幾らあっても困りません。子供達にも掛かるし・・・・
その時は有頂天でしたが、妻に掛けている経費が頭をよぎり、この金でチャラに出来れば随分楽だと思い付いたのです。
膳は急げだ。少しもったいないような気もしますが、これで卒業してもらおう。
一旦家に帰り車でアパートに向かうと、見慣れた軽自動車が停まっています。
「今日は居るな」
部屋の前でチャイムを鳴らしますが出て来ません。部屋には明かりが点いています。
近所に買い物にでも行ったのだろうと思い珍しく待つ事にしました。目的があると我慢出来るものです。
狭い駐車場なので一旦車を動かし、部屋のドアが見え易いところに停め直しました。
ナビをTVに変え、彼女とのメールをやり取りしながらどのくらい時間を潰したでしょうか。
駐車場に1台の車が入りヘッドライトを消しました。
住人の車だろうとちらっと目をやると男と女が乗っているようです。
目を凝らすと女は妻に間違いありません。そして男は岸部。
どうした事でしょうか、血圧がどんどんと上昇します。
私はヘッドライトを点灯し、わざと相手の車の中を照らすように発車させます。
照らされた車内には男と女が重なっているようなシルエット。
当然に彼女達は此方を見るでしょう。
車内を照らした車は、妻の見慣れた車、覚えているナンバー。
そして車は停まらず駐車場を出て行きます。
ルームミラーに慌てて私を追いかける妻の姿が映っていましたが後の祭りです。
妻から必死の携帯が鳴り止みません。
帰路の間にどれほど携帯が鳴った事か。
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